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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

金型に人生を賭けた
プロによる製品づくり

 

バブル崩壊で味わったドン底と気付き

 
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菅原 確かに、子どもの頃から父の経営するプリント基板製造の工場で工作機械をいじっていましたから、適性はあったのかもしれません。でも、私が起業した当時、巷には仕事が溢れかえり、ちょっと仕事をすれば簡単にお金を稼ぐことができたんですね。
 
城 収入はうなぎ上りで、会社の業績は上がるいっぽうだったことでしょう。高級車を乗り回したり、接待やゴルフ三昧の日々を送られたりと、華やかな暮らしを送られたのでは?
 
菅原 その通りです。一晩でかなりの金額を散財するようなこともあり、今考えるとふざけた生活を送っていましたね(笑)。ところが、3年も経たないうちにバブルは崩壊。一気に会社が傾き、苦しい生活を強いられるようになりました。1年以上も家内のパート収入に頼り、子どもを食べさせるのが精一杯でした。水道が止まり、公園に水を汲みに行ったこともありますよ。
 
城 壮絶なご経験をされましたね。でも、そんな苦しい状況下でも妥協して廃業しなかったのは、菅原社長の仕事に対する強い思いがあったからではありませんか。
 
菅原 そうですね。なりふり構わず依頼を全て引き受けていたら、暮らしは成り立っていたかもしれません。でも、意にそぐわない仕事は受けたくなかった。それはやはり、仕事へのこだわりやプライドがあったからです。
 
城 だからこそ仕事が激減して生活が苦しくなった。しかし、その状況から這い上がるチャンスが訪れるわけですよね。どんなきっかけがあったのか、ぜひお聞きしたいです!
 
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菅原 30歳を迎えた頃、知人に誘われて話を聞きに行った「成功者のセミナー」がきっかけになりました。最初は講演者の方々の、「世の中の役に立ちたい」という言葉にピンときませんでした。何しろ、私がお金を稼ぐのは自分のためで、「お客様のため」を考えた仕事をしてこなかったものですから。
 でも半年間セミナーに通ううちに、「お客様のために、働いてみよう」と、考えが変わっていったんです。手がける仕事自体は変わりませんが、納期を厳守したり、お客様のことを考えたより良い提案をしたり・・・。その実践と積み重ねが、今現在のお客様からの信用につながっていったと思っています。
 
城 なるほど。信頼を得たことで仕事量も増え、会社も大きく息を吹き返したのですね! バブルの頃の菅原社長とは、考え方が180度変わったわけだ。