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経営者インタビュー チャンスも困難も、すべてを楽しむ―そんな仕事人たちの経営にかける思いと哲学を、凝縮して紹介します。日々のビジネスに発見を生む、時代と自らに挑み続ける経営者の素顔がここにあります。

日本羅針盤法律事務所 代表/弁護士 望月宣武

1ミリでも社会を動かせる 法律事務所になる

 
 
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さとう 早くから社会的使命感を持って活動されていたのですね。
 
望月 はい。当時の福祉の活動にしても、今の弁護士の仕事にしても、僕が何かをやる時の動機は、「怒り」 なんですよ。たとえば、自分の隣人や友だちが 「障害がある」 というだけでなぜ差別されるのか、なぜこんなに我慢して生きていかなきゃいけないのか、おかしいじゃないかという気持ちです。この 「怒り」 が、活動や仕事の原動力なんです。
 弁護士になった今も、精神医療のあり方や、医療過誤の問題には引き続き取り組んでいます。これまで医療裁判はなかなか勝てませんでしたが、今は原告の勝訴率が4割くらいまで上がってきています。しかし、全事件の原告勝訴率が8割を超えることからすると、医療事件は半分しか勝てていない。医者や病院を相手に戦うことの難しさがあります。
 
 

弁護士を目指した理由
東京を目指した理由

 
さとう 弁護士を目指した背景には、何か具体的な理由があったのでしょうか。
 
望月 高校3年生の時に、尊敬していた担任の先生が亡くなったんです。僕にとっては父親代わりの存在で、彼の 「死」 という事実が本当にショックでした。人間、死んでしまえば、お金も名声も墓場には持って行けないから、自己満足のために生きても意味がないと感じました。生きる意味がわからなくなってしまったんです。
 でも、「自分は生きて何を残そうか?」 と考え続けて、僕は人の中に思い出として残ろうと思ったんです。誰かのために心を配る。周りに優しさを配っていけば、僕が死んだ後でも、その人の心の中に僕が思い出として残っていく。自分の身を削り、自分を犠牲にして誰かのために尽くして、いつか 「そういえば望月という人間がいたな」 と思い出してもらえればいい。そういう精神が僕の生き方でもあり、弁護士を志した背景でもあります。
 それで、いったん社会人になったものの、誰かのために全力で尽くす弁護士という職業に改めて惹かれて、弁護士を目指すために大学院に入り直して、初めてまじめに法律の勉強をしました。
 
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さとう それで司法試験に合格されて、念願の弁護士になられて、東京に移って来られたのは、いつですか?
 
望月 東京に来たのは昨年(2009年)2月です。東京を選んだ理由は、東京が日本の中心だからです。弁護士の関わる事件や紛争も、やはり東京を中心に起こります。弁護士として大きな仕事をするには東京でなければならないと考えたのです。
 札幌で法律事務所に入ったときは、札幌で骨を埋めるつもりでした。しかし、半年も経つと、10年後の自分が想像できてしまった。札幌の第一線で働く一流の弁護士になり、たくさんの収入を得て、安定した生活を送ることができるだろう。しかし、それが想像できてしまった瞬間に、おもしろくなくなってしまったんです。札幌にいては、それ以上はない。つまらない。面白いのは東京だ。東京に出て、背伸びしなければできないような、骨のある仕事をしよう。それで、東京で独立開業しました。
 事務所の名前は 「NIPPONCOMPASS (日本羅針盤)」 にしました。コンパス(羅針盤) という名前にしたのは、人や企業を、社会や市場の中で導きたいと思ったからです。