プロフィール 大阪府出身。大学を卒業後、半導体メーカーのインテルに就職して上京。営業マンとして14年間在籍し、日本法人の全国トップ営業マンに2回輝くなど、華々しく活躍した。2000年以降、ベンチャービジネスの活気に触発され、身内の経営していたピーシーフェーズ社の事業に参加。代表権を引き継ぎ、携帯電話を活用した販促手法を技術面から推進。数々のビッグキャンペーンを手掛けた。近年の「ケータイ販促」の陰の仕掛け人である。
今や 「国民1億人の必需品」 と言われる携帯電話。この携帯電話にクーポン券、チラシ、懸賞、割引キャンペーン情報などを配信して購買行動に繋げる「ケータイ販促」が、広告業界で話題になっている。ケータイ販促を導入する企業も後を絶たない。この新しい販促手法を普及させるのに貢献した企業の一つが、ピーシーフェーズ(株)だ。一介の携帯電話ソフト会社だった同社がどのように偉業を達成できたのか。吉田和弘社長に、意外な開発秘話をうかがった。
身内から事業を託され
インテル営業マンから転身

インタビュアー 川村ひかる(タレント)
川村 「ケータイ販促」 という新しい事業領域の振興に大きな役割を果たされたと伺っています。きっかけは何だったのでしょうか。
吉田 当社がケータイ系のソフト開発で様々なケータイサイトに採用されたのがきっかけです。間接的には、そこまで至る様々な伏線がありました。
川村 では、伏線のほうからお聞かせください。御社は元から携帯電話関連のソフト開発を手掛けてこられたのでしょうか。
吉田 いいえ。当社は1998年に私の身内が制御系ソフトの開発を業容として設立した会社です。ただ、制御系ソフト市場は競争が激しく、新規参入組にはあまりに過酷な市場でした。そこで成長期に入った携帯電話市場に着目し、制御系ソフトの開発技術を応用してインターネット接続用の画像変換ソフトを開発しました。その頃の携帯電話はキャリアごとに画像通信の規格が異なっていて、ユーザにとっては不便この上ないものでしたが、規格が異なっていても同一操作でインターネット接続ができるようにしたのです。

これが見事に当たり、当社は急成長! でも、この領域もたちまち過当競争になり、それ以上の成長ができませんでした。優れた技術を持っていても市場環境が厳しくて伸びられない。それでジレンマを感じていた頃、私はケータイ市場にとても関心があったので、「やってみたい!」 と思い、ピーシーフェーズを引き継ぎました。
川村 吉田社長ご自身は、それまでは何をされていたのですか?




