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経営者インタビュー チャンスも困難も、すべてを楽しむ―そんな仕事人たちの経営にかける思いと哲学を、凝縮して紹介します。日々のビジネスに発見を生む、時代と自らに挑み続ける経営者の素顔がここにあります。

株式会社岩波海苔店 代表取締役 岩波克弥

海苔専業の心意気が香る
オリジナルのりが大人気

 
 

やさしくも厳しい先代の父に育てられた

 
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山本 大事なお得意様ですね。ところで、社長は2代目だそうですが、岩波海苔店さんの歴史についても教えてください。
 
岩波 一昨年亡くなった初代の父が、約40年前にこの築地でのりの卸業を始めました。私は23歳から2年間、熊本と大阪の同業者のところで修業をして、この店に入りました。もっとも、小学生の頃から手伝いをしていましたけどね。
 
山本 お父さまはどのような方だったのでしょう。
 
岩波 やさしい父親でしたが、非常に厳しい一面もありましたね。子供の頃は自宅が大井にあったのですが、店の手伝いをする日は、朝1分でも寝坊をするとトラックに乗せてくれず、置いて行かれました。仕方がないから、大井から築地まで自転車で追いかけました(笑)。 店に着いたら着いたで、1日で数百個分ののりを切ったり箱詰めしたりしなければいけなくて、それだけやると、もう夜の12時を過ぎるんですね。それで父は私に、帰ったらすぐ寝られるように自転車で先に帰って明日の荷物を揃えておけと。夜中に小学生が自転車に乗っているものだから、一晩で2回も警察に声をかけられたことがありますよ(笑)。 でも、私はそんな手伝いを楽しんでいました。
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在りし日の先代と。左から岩波克弥社長、会計士、先代の故・岩波勝氏

 やがて私がこの店に入ると、最初の2,3年は、私が 「やりたい」 と言ったことへの先代からの返事はすべて 「ノー」 でした。でもそれを過ぎると、今度は逆に 「ノー」 と言われた記憶が一度もないんです。やりたいことを、なんでも好きなようにやらせてくれました。それが周りの店の 「先代」 と呼ばれる人たちとは全く違っていたんです。もっとも、それだけに私はものすごい数の失敗も繰り返してきましたけれども。
 
山本 お父さまには、息子がもし失敗しても、それはそれで勉強になるだろう、という想いがあったのかもしれませんね。器が大きい方だったのですね。
 
 

いろいろな人の役に立ちたい

 
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山本 お父さまの他にも、様々な人に支えられてきたと思います。
 
岩波 たくさんの方々に、身をもって教えていただいたことが、山のようにあります。先代は、周りの人たちからとても人気がありました。親の七光りと言われても一向にかまいませんが、父が一昨年亡くなってからも、「おやじさんには世話になったから」 と無条件でお付き合いを続けていただけている取引先がいくつもあります。銀行さんからも、父が亡くなったときに 「どうですか?」 と先行きを聞かれましたが、「売上を減らさないよう、一所懸命がんばります」 という返事だけで、理解していただけました。私は 「魚河岸ペッパー」 の前から、ここ数年は成田にある韓国のりの工場に掛かりきりで、築地の店をずいぶん離れていたんですが。
 
山本 韓国のりを扱い始めたのは、何がきっかけだったのでしょうか。