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経営者インタビュー チャンスも困難も、すべてを楽しむ―そんな仕事人たちの経営にかける思いと哲学を、凝縮して紹介します。日々のビジネスに発見を生む、時代と自らに挑み続ける経営者の素顔がここにあります。

日本イオン株式会社 代表取締役 中島有二 銀は古くからその防腐作用が知られ、遠洋航海の船には飲み水が銀の壺に入れて積み込まれた。日本イオン(株)は昭和32年から半世紀以上の歴史を誇る、国内における銀イオン殺菌のパイオニア企業である。

 
プロフィール 東京都出身。中学を卒業後、学生紛争で荒れる大学を見て都立航空高等専門学校(高専)に進学、ジェットエンジンの技術を学ぶ。20歳で真空産業の企業に就職し、技術者として5年、海外業務に5年、国内営業に4年従事。1985年に34歳で退職し、父の経営する日本イオン(株)を引き継いだ。以来、銀イオン殺菌を基幹技術に様々な商材を世に送り出し、近年のイオン抗菌ブームの陰の仕掛け人として知る人ぞ知る存在である。
 
 
 
銀(英名Silver 原子番号47 元素記号Ag)―― 貴金属として知られるこの金属は古くからその防腐作用が知られ、遠洋航海の船には飲み水が銀の壺に入れて積み込まれた。日本イオン(株)は昭和32年から半世紀以上の歴史を誇る、国内における銀イオン殺菌のパイオニア企業である。現在はその技術を活かして各産業分野と協力関係を結び、スキルシェア型・マーケット横断型の積極的な事業展開を続けている。同社の中島有二社長にお話を伺った。
 
 
 
戦時中から利用されてきた銀イオン

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インタビュアー 五十嵐めぐみ(女優)

五十嵐 日本イオンさんは昭和32年に創業され、半世紀以上も銀イオン殺菌の専門企業として続いてきたそうですね。先代が続けてきた事業を初めて見たとき、どう思われましたか。
 
中島 最初は「なんともニッチな商材だな」と。銀イオンなんて、周りの誰も知りませんでしたからね。
 父と銀の出合いは戦時中に遡ります。軍に召集されて大陸に行っていた頃、馬の世話をする際に、飼葉桶や水を銀で殺菌していたそうなんです。血液に多少入ると病原菌に対する抵抗力もつくらしく、ときどき銀粉入りの飼葉も食べさせて、腹下しを予防していたんだそうです。大陸の不衛生な環境で馬がしっかり働けるようにという工夫ですよね。戦時中は海外で兵隊さんも現地の水道水を銀で殺菌して飲んでいたとかで、実は銀は、食べても安全ですから食品添加物としても認められていて、飲料水基準に含有量の規定がないほど安全な金属なのですよ。
 
五十嵐 かなり古くから利用されてきた技術なんですね。知りませんでした。
 
中島 もとはドイツで発見された殺菌原理でして、父はそれを軍で見て応用したわけです。最初は上水道やプールなどに使いたかったようですが、戦後にアメリカの占領軍が塩素消毒を持ち込んで、あっという間に広めてしまった。だから日本は塩素消毒が主流なのです。残ったのがお風呂です。お風呂は塩素を入れると蒸発してしまうから使えないんですね。
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 そこで父は銀イオンを使った殺菌装置を自分で作り、大企業の寮や社宅に売りこんだのです。当時は集団就職などで若者がどんどん都会に入ってきて、共同浴室や銭湯がたくさんありましたから。いま、当社の取引先には国内の有名企業が軒並み入っていますよ。
 
五十嵐 「日本の戦後復興史を生きた商品」 というと言いすぎかしら。でも、懐かしいです。装置ということは、メンテナンスもあるんですか?
 
中島 メンテもありますし、銀イオンの電極は消耗品で定期交換が必要です。ということは、ある程度売って広めれば、後は楽に続けられる商売なわけです。実際父も、各地をアフターフォローで回りながら、趣味である蝶の採集に没頭していました。仕事のことは話さない父でしたが、いろいろと知ってからは 「親父もやるなあ」 と思いましたね(笑)。