プロフィール 東京都出身。「ハイサワー」ブランドで有名な博水社の三代目として生まれる。幼少時から子供時代を通じてクラシックバレエを続け、振り付け師を目指すもバレエ留学を目前に腰を故障してバレエを断念。その後、21歳から家業に入り、2008年、妹と共に“三代目シスターズ”として事業を継承した。製造中止になっていたビールテイストの商品「ハイサワー ハイッピー」を復活させ、更にはハイサワーホップ&レモンを発売。関西市場の開拓も狙うなど、意欲的に活動している。
「お酒をわ・る・な・ら・ハイサワー♪」のコマーシャルでおなじみの「ハイサワー」シリーズを製造・販売する(株)博水社。2008年、その3代目社長に就任した田中秀子さんは、やわらかな語り口調と親しみやすい人柄が印象的なビジネスウーマンだ。ハイサワー発売30周年を来年に控え、先代が築いてきたブランドを大切にしつつ時代の一歩先を行く新機軸を打ち出す田中社長に、アイデアの源泉を語ってもらった。
焼酎をベースにカクテルを!
ハイサワー誕生秘話

インタビュアー 山川恵里佳(タレント)
山川 田中社長は、昨年、3代目の社長に就任されたんですよね。
田中 ええ。昨年代替わりしまして、来年の2010年がハイサワー発売30周年です。
今でこそ「お酒をわ・る・な・ら・ハイサワー♪」のTVコマーシャルでおなじみですが、もともと当社は、私の祖父が始めた当初は町の小さなラムネ屋さんでした。戦後、コカコーラさんやペプシコーラさんといった外資の大手飲料メーカーが日本に入ってきて、町のラムネ屋さんはほとんど潰れてしまいました。そのとき、2代目である父が「お酒とからんでいる商品、冬でも売れる商品を開発しよう」と、6年かかって「これなら売れる!」というビールっぽい炭酸飲料のレシピを創り上げたんですね。
ところが、いざ販売しようとしたらホップの原料屋さんが潰れてしまい、原料が手に入らなくなったんです。父は少々のことでは凹まない人なんですが、このときはさすがに凹んだようです。
そうこうするうちに、父が海外旅行の団体ツアーに参加したんですね。すると外国の方々がカラフルなカクテルを飲んでいたんですって。そこで「焼酎をベースにして和風のカクテルが作れるんじゃないか」と、ひらめいたんですね。日本にはウィスキーとビールと日本酒ぐらいしかなかった時代ですが、その頃にちょうどレモン果汁の輸入が自由化されて、レモンと炭酸を使って和風カクテルを・・・と考えてできたのが、ハイサワーレモンなんです。その時に近所の居酒屋さんで生レモンを焼酎に入れて出していたこともヒントになりました。

ハイサワーレモン。
30年前、ハイサワーの歴史は
ここから始まった。
山川 歴史を感じますよね。ハイサワーのラベルの字体はずっと同じなんですか?
田中 30年間ずっとずっと変わらずです。実はハイサワーのネーミングは、漢字交じりの「輩サワー」が本当なんです。父が自分で創った商品だから、「我輩が創ったサワー」という意味なんですね(笑)。 我輩が創ってこんなに美味しい。だから、みんなに美味しいと言ってもらえるはず、と思ったんです。ただ、小さな町の工場だから専任の営業担当がいない。そこで、社員みんなが行きつけの縄のれんの店にハイサワーを持参して一軒一軒歩きました。「ママ、こんないい飲み物できたから焼酎で割ってみて」「あら、美味しいじゃない」という具合に。こうしてハイサワーの噂は隣の店から隣の店へと口コミで広がっていったんです。目黒区から世田谷区に広がり、それが東京全体、日本全国、今ではアメリカでも販売されています。
山川 日本だけじゃないんですね。すごい! 社長は2代目のご苦労をそばで見ておられたんですか。
田中 見てましたねぇ。そんなこともあって、5、6年前に、30年間ずっとお蔵入りになっていたそのビールっぽい炭酸飲料のレシピがものすごく気になって、ある日、古い金庫から引っ張り出しました。そして、もう1度レシピを組み直し、商品化をやり直したんです。今ならホップの原料も手に入りますし。そうやって4~5年かかってようやくできたのがハイサワーハイッピー、私たちが「泡モノ」と呼んでいるシリーズです。
山川 お父様が苦労して創られたレシピをもとに、娘が新商品を開発する。素敵ですね。




