プロフィール 大阪府出身。21歳のときに大阪で派遣業を起業し、個人事業を経て法人を設立。材木商を営む実家や偶然出会った社会保険労務士など周囲からの助力に恵まれ、さらに取引先の企業から事業継承を求められるなどして順調に業容を拡大。その後、徐々に拠点を東京に移し、現在は音楽事業や教育研修事業などの各部門も構える。上海万博を控え、中国の上海にも進出している。
人材派遣業のオフィスニート――仕事をきちんと(neat)するという想いを込め、創業時に全員で決めた社名だ。人材派遣・イベント企画にとどまらず、現在は音楽事業(アカシックレコード)や企業研修などの教育部門にも進出。それぞれ、社員たちの夢を実際に形にした新事業だ。いかに世の中に喜んでもらえるか?伝えたいことを、伝えたい人に、しっかり・きちんと伝えるために。皆がそれを考えているから、オフィスニートの仕事は楽しい!
バブル絶頂期、21歳で人材派遣業を創業

インタビュアー 高橋かおり(女優)
高橋 御社は人材派遣業者として1987年に設立されたそうですが、まだ若い中での創業だったのでは。おいくつでしたか?
庄田 21歳でした。当時はバブルの絶頂期で、次々と依頼が入ってきましたね。それで自分の友人たちを紹介するうち、さらに仕事量が増えて。ついに会社を興すことにしたのです。
高橋 21歳!そんなに若い頃から! 大変ではなかったですか?
庄田 自分でも訳が分からなかったですね。OLの経験もなかったので、事務手続きなんかもさっぱり分かりませんでした。でも、偶然出会った社労士の先生に教えていただいたり、事業をしていた父の信用で資金を借りられたりと、周囲の助力にはずいぶん恵まれてきました。派遣業の許可もすぐに取ることができたのです。
高橋 女性社長は、当時としては珍しかったでしょうね。
庄田 この業界は多いほうでしたけどもね。ただ、私ほど若い人はいなかったから、「どうせ続かないよ」「すぐにつぶれるだろう」など、いろいろ言われましたね。
高橋 それを乗り越えてこられたのですよね。でも、バブル崩壊の時には? 気持ちを強く持ってどうにかなるものではなかったと思いますが・・・

庄田 今ふりかえると、あれがバブルだったのだって分かりますけれど、当時はそんな意識もなかったですね。私はバブルの恩恵はあまり受けなかったのですよ。周囲の人は「景気がいいんだから、もっと高く取ればいいんだよ。今の3倍くらい請求すればいいのに」と言ってくれましたけれど、それは自分の中で抵抗があって。だから、「バブルだからすごく儲けた」ということはありませんでした。結果的にそれで良かったと思っています。おかげ様でバブル崩壊の影響も少なくて、その後も業績は順調に伸ばせましたから。




