プロフィール 神奈川県出身。葬祭業を営む一家に生まれるも、家業への反発から、土建業や訪問販売など、他の様々な職種を経験。21歳であらためて業界に入る決意をかため、都内の葬儀社に修業に出る。その後家業に入り、自前の事業基盤を持つべく2003年に独立。個人事業を経て2008年、法人を設立した。2008年9月まではプロキックボクサーとしても活躍。“闘う葬儀屋”のファイトを、現在は故人と喪家のために燃やしている。
映画「おくりびと」が話題となり、納棺師という職業が認知されるなど、人の死の場面に関心が高まっている。
あたかもその動きは、自己利益の追求を至上命題とする経済原理の破綻と、その終焉をいかに社会的に“送る”かという現在の課題を照らし出すかに見える。人は人をいかに送るべきか。ライフサポートは心ある葬祭業を提供する。
葬祭業への目覚め

岡安 ご実家が葬祭業を経営されているとのこと。同じ業界に進まれた経緯を教えてください。
辰尾 実は、この業界に進むつもりは全くありませんでした。今でこそ葬儀・葬祭業も一般的な仕事と見られるようになりましたが、私が子供の頃はまだ特殊な仕事でした。そのせいで級友たちから苛められたこともあります。ですから葬祭業には嫌なイメージしかなくて、若い頃は「絶対に葬儀屋だけにはならない!」と考えていましたね。
そんなこともあり、初めは他の職種につきました。土建業から訪問販売まで、いろいろやりましたよ。20歳前後までは住む土地も様々でした。日本各地でいろんな職業、いろんな生活を経験しました。周囲から「本が一冊書けるよ」と感心されるくらい(笑)。
でも、・・・血は争えないというのかな。心のどこかでいつも、「いずれ家を継ぐんだろうな」と感じていました。それで21歳のときに、祖母と縁がある都内の葬儀社に就職しました。就職といいながら、実際は丁稚奉公みたいなものです。それが葬祭関連に進んだ最初でしたね。
岡安 最初から家業に入らなかったのは、ご自分で振り返って、何か意味がありましたか?
辰尾 ありましたね。私はもともと人間嫌いだったんです。協調性もなかったし、学生時代は随分ヤンチャもしました。ですから、訪問販売をやったのは大きな経験だったかもしれないです。毎日毎日、来る日も来る日も、知らない土地で飛び込み営業ですからね。少しは扱いやすい人間になったというか、変な自意識がなくなりましたね(笑)。
岡安 以来、葬祭業界に約20年間身を置いてこられて、ご自分の中で葬祭業のイメージは変わりましたか。




