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社会 伊東乾の「知の品格」 vol.11 学位の品位はどこに(9) 伊東乾の「知の品格」 作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

社会
 
 

文系の実質的な最終学位だった「修士」

 
こうした湯川さんのようなケースが可能であったのは、自然科学が実験によって白黒の判断がつき、長年の研究の積み上げなどで左右されないという事情があったものと思われます。
 
翻って見るなら、ほとんどすべての文科系、また理論物理や数学のように若者が大業績を挙げやすい分野でない理系では学部卒が実質的な人生の「最終学位」であった。
 
これが1945年の敗戦、1947年の学校教育法など、戦後の改革によって、日本には「大学」が雨後のたけのこのようにふえてしまい、戦前のように「学士さま」的な学力、実力を持つ人を峻別することが難しい状況になった。
 
そんな中で1953年に創設された「修士」は、とりわけ文科系では「新たに生まれた、人生の最終学位」的な意味合いを持つものになってゆきます。その一つの理由は、研究分野によっては国際的人的交流が希薄で、A大学院で修士を出、B大学院の博士に進むといったケースが限られていたことが挙げられるでしょう。
 
他方、自然科学とくに先端的な理工学の研究分野では、もとから国際交流が盛んですので、やがて日本で学部や修士を卒業し、海外の大学院で博士号を取得する、といった形が普通にもなってゆき、新たに作られた「修士」は「博士に進むために一瞬足を置くステップ」にしか過ぎなくなってゆきます。学士=学卒にいたってはより露骨で、いまや昔日の「学士さま」は夢のまた夢ということになってしまう。
 
ここに、日本の文系と理系の間に存在する「学位」をめぐる乖離の一つの構造的理由を見いだすことができる、と私は考えています。
 
 

国際化の中で見直されるべき学位

 
21世紀に入って間もない2002年、日本に「専門職学位」の導入が検討されたおり、重視された一つが「国際的通用性」でした。代表的なものとして法務博士(専門職)が挙げられるでしょう。つまりロースクールの必要課程を修めたものに対して発行される、ある種の免許で、学士の学位を取得したのち、2年か3年の修業で取得でき、修士号とは関係がありません。学位請求論文などの執筆も無関係な「ドクター」で、日本ではこれを持つことが司法試験の受験資格になるので、まさに途中のライセンスの一つにすぎず、単体であまり明確な意味を持つものではありません。なぜそんなライセンスに「法務修士」でなく「博士」の名を与えたのか、は一つの謎と言えるでしょう。
 
2004年の4月に導入された日本の[法科大学院]制度は、いわゆる大学院重点化のほかに司法制度改革の背景を持ち、やや特殊な色合いを持つもので、加えて言えば国際的な人的交流を前提とする学位の実力ともやや距離があるものと言えるでしょう。もっぱら日本の司法試験の受験資格を認めるものであって、海外の専門研究組織に人材を供給するような観点からカリキュラムが構成されているわけではないと思われます。
 
ロースクールについては実施10年、さまざまな問題が指摘され、曲がり角にさしかかりつつあり、すでに閉鎖が決定して学生募集が停止されているものが国公立・私立を問わず多数あるのも周知の通りでしょう。
 
島国の中だけで通用する<学位>を作っても、社会的必要性やシリアスな内実を問わなければ、賞味期限が10年あるかどうか・・・という現実。よく見ておく必要がある事例と思います。
 
日本の学位は大きな曲がり角にさしかかりつつあると言って良いでしょう。間違いなく指摘できることは、内外で真に通用する品位と格調、つまり品格ある学位だけが永続し、その他の粗製濫造、ディプロマ・ミルの疑似学位は、早晩馬脚をあらわして何の意味も、価値もないと世間があまねく知るに違いない、冷徹な事実です。
 
品格ある学位授与を取り戻さねば、日本の大学院は早晩、無用の長物として消えてゆくに違いありません。そうするか、しないか、は私たち日本人自身のいま・ここでの選択に掛かっている。しっかり目を開いて行かねばならないポイントです。       
 
(この項了)
 
 
 
 
 伊東乾の「知の品格」
vol.11 学位の品位はどこに(9) 

  執筆者プロフィール  

伊東乾 Ken Ito

作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

  経 歴  

1965年東京生まれ。松村禎三、松平頼則、高橋悠治、L.バーンスタイン、P.ブーレーズらに師事。東京大学理学部物理学科卒 業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後 進の指導に当たる。西欧音楽の中心的課題に先端技術を駆使して取り組み、バイロイト祝祭劇場(ドイツ連邦共和国)テアトロコロン劇場(ア ルゼンチン共和国)などとのコラボレーション、国内では東大寺修二会(お水取り)のダイナミクス解明や真宗大谷派との雅楽法要創出などの 課題に取り組む。確固たる基礎に基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗っ た同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトな ど大きな反響を呼んでいる。新刊に『しなやかに心をつよくする音楽家の27の方法』(晶文社)他の著書に『知識・構造化ミッション』(日経 BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『指揮者の仕事術』(光文社新書)』など多数。

 
(2014.10.1)
 
 
 

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