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社会 伊東乾の「知の品格」 vol.8 学位の品位はどこに(6) 伊東乾の「知の品格」 作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

社会
 
 
いまもし、資格のない人が人の腕に注射したり、麻酔を打って手術の執刀をしたりしたら、どういうことになるでしょう?
正確な法律の条文は知りませんが「医師法」の類いに抵触して、罰せられることになるでしょう。
 
もし、司法試験を通過していない人が、自称弁護士を開業して、裁判(ではバレてしまいますから、それ)以外の各種の事務所業務をいとなんだら・・・これも詐欺の類いで挙げられてしまうでしょう。
 
もし運転免許を持っていない人がドライブしていて、警察の検問にひっかかったら・・・たぶん逮捕されるのでしょう。
 
一体何をいっているのか、と問われそうな話を最初に並べました。
 
「あたりまえでしょう、そんなの。免許持ってなかったら違法なんだから」
 
では同じ車は車でも、日本で自転車の運転に免許は必要でしょうか? 医師は免許が必要ですが、各種マッサージ店などには、資格を持った人も持っていない人も混ざっていますよね。無資格の中国整体屋が違法かと問われれば、たぶん大丈夫なのではないでしょうか、医療業務ではなくサービス業なのでしょうから。
 
つまり、人の命に関わるような大切な専門性のある仕事で責任を負うに当たっては、国が資格試験を実施して、免許を与えてクオリティ・コントロールをしている、そういうことになります。
 
では「先端医療科学の基礎研究」に従事するのには、どのような国家資格や免許が必要なのでしょうか・・・? 実は、そういうものが存在していないのが、良くも悪しくも日本の現状に他なりません。それが「博士号」を巡る現代日本の問題の根底にある事実であること、まずそこから確認し直したいと思います。
 
 

自浄作用を求められる学位の自由化

 
すでにこのコラムでも触れた通り、1918年に交付、19年に施行された「大学令」によって、日本に「私立大学」が誕生しました。
 
それ以前は大学とは国が設置するもの。学士という学位(が当時は未だ非常に希少で有効な意味を持っていました)は国立機関のみが発給するもの、博士にいたっては文部大臣が出す、極めて公的な性質の強い称号で「末は博士か大臣か」というような代物であった。
 
端的に言えば夏目漱石(1867-1916)の生前「博士号」はもとより「学士さま」もふくめて、およそアカデミックな位階、ディグリーというのはすべておおやけ、国が関与して出すものしかなかった。それが自由化された第一次世界大戦後の大正期、デモクラシーと言われる所以でもあったと思います。
 
1920年、最初に私立大学として誕生したのが慶應義塾と早稻田の2校だったわけですが、これは「民間の大学でも<学士>を出しても良い」という、かなり思い切った、画期的な施策でもありました。
 
喩えて言うなら、医師や弁護士の資格を国家資格から機関の認定資格に変えた。つまり『珠算検定3級』みたいに資格・能力の認定そのものを(所轄官庁はあるにせよ)民間団体に委譲したと見ることができるでしょう。
 
こうした自由化には、団体や業界側の厳しい自己浄化の姿勢が求められる筈です。さて果たして、約100年を経た日本で、一体何が起きているのでしょうか?
 
 

教育サービス産業のエアポケット

 
少子高齢化という現代日本が直面する状況の中で、大半の私立大学は、経営というより機関の存続、つまり生き残りを懸けて、教育サービス産業としての延命の方途を求めていると思います。善し悪しとは別に、現代日本において、大衆化した大学の大半は、例えば文系大学は特段勉強するところでないことが普通であるし、理系医歯薬系なども就職のための一ステップとしての意味に社会経済的なホンネの価値がある、その程度のものに過ぎないと言わざるを得ません。
 
かつて中世の欧州で、ボローニャ、オックスフォード、パリ、ピサなどの地で大学、ユニバーシティなるものが誕生した経緯は、現代日本の大学の実情と全くかけ離れたものでした。拡大した修道院学校が自治権を求めて組合化したものが大学の原型、学位とは(職位や収入にも直結しうる)希少価値の高いライセンスだった。
 
フランス革命では「第三身分」平民が立ち上がりましたが、その上に「第一身分」貴族と「第二身分」カトリック僧侶が存在していたことを思い出して下さい。ここでは多くをもうしませんが、歴史的には修道院学校~欧州大学の原型は、社会的に確乎たるバックアップがある中で誕生し育ったものでもありました。
 
大革命で人民が権力を手にすると、18-19世紀初頭にかけてフランスではクリュニー修道院など巨大な宗教施設が破壊されると共に、学の府である大学なども根底的に制度が変更され、博士号などは国家が授与するものとなった。詳細は省きますが、19世紀後半に遅ればせの近代化を遂げた国家の一である日本も、明治以降欧州の制度に追随しながら、今日の弁護士や医師の国家資格よりはるかに希少な専門知のあかしとして「学士」「博士」などの学位を導入し始めたのでありました。
 
それが、一部の例外を除いて、ほとんど根底から変質、もっといえば腐ってしまったのが、少子高齢化による教育サービス産業化が進行してしまった、現在の日本の現状に他なりません。
 
そんな中、21世紀の日本を生きる私たちは、どのようにして専門知の信用、学位の水準、あえて言えば「知の品格」を取り戻して行けばよいのでしょうか?
 
(この項つづく) 
 
 
 
 
 伊東乾の「知の品格」
vol.8 学位の品位はどこに(6) 

  執筆者プロフィール  

伊東乾 Ken Ito

作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

  経 歴  

1965年東京生まれ。松村禎三、松平頼則、高橋悠治、L.バーンスタイン、P.ブーレーズらに師事。東京大学理学部物理学科卒 業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後 進の指導に当たる。西欧音楽の中心的課題に先端技術を駆使して取り組み、バイロイト祝祭劇場(ドイツ連邦共和国)テアトロコロン劇場(ア ルゼンチン共和国)などとのコラボレーション、国内では東大寺修二会(お水取り)のダイナミクス解明や真宗大谷派との雅楽法要創出などの 課題に取り組む。確固たる基礎に基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗っ た同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトな ど大きな反響を呼んでいる。新刊に『しなやかに心をつよくする音楽家の27の方法』(晶文社)他の著書に『知識・構造化ミッション』(日経 BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『指揮者の仕事術』(光文社新書)』など多数。

 
(2014.8.20)
 
 
 

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