脚本家/日本チャップリン協会会長 大野裕之 第8回
1895年12月にパリで初上映された 「映画」。この新メディアが誕生してから約30年間は、「モーション・ピクチュア」 という呼び名の通り、映画とは 「動く絵」 であり、音声はなかった。1927年になって、アル・ジョルソン主演の 『ジャズ・シンガー』 が初の本格的トーキー(発声)映画として公開され、映画は音声を持った。当初は、珍奇な見せ物でしかなかったトーキー映画だが、その物珍しさにすっかり観客は夢中になり、わずか数年でサイレント映画は過去のものとなってしまった。
サイレントとトーキー・・・ 音があるかないかという違いは、演出も演技も変えてしまった。「動き」 中心の動く絵画から、「台詞」 中心の演劇に近いメディアとなった映画。とりわけ、コメディの演技は大きく変わった。サイレントならば、フィルム回転速度を変えることで、面白い動きを演出できたが、トーキーだと音声速度も変わってしまうのでそのような演出は不可能だ。代わりに、台詞の掛け合いの面白さが重要視された。こうして、キートン、ロイドなどのサイレント喜劇役者は没落し、台詞のギャグを連発するマルクス兄弟などが台頭する。
さて、サイレント映画とトーキー映画、この二つのジャンルを通して、大成功をおさめた監督・俳優は、歴史上ほとんど一人しかいない---言うまでもなくチャップリンその人である。
チャップリンは、初めてトーキー映画を製作したのが1940年の 『独裁者』 とかなり遅い。その間、『街の灯』(1931年)、『モダン・タイムス』(36年) の二本をサイレント映画として製作している。それゆえ、一般の評は 「チャップリンは新技術を嫌って、最後までサイレントを守り通した偏屈の芸術家」 といったところだ。さて、実際はどうだろうか?
チャップリンが1931年に 『街の灯』 を、当時過去のものとなっていたサイレントで製作すると発表したときに、ハリウッド中が驚き、なかば呆れた。喜劇王は 「パントマイムは、常に普遍的な意志伝達手段であった。言語が誕生する遥か昔から存在した世界共通の手段だったのだ」 などとエッセイをものし、サイレント芸術の普遍性を高らかにうたいあげた。が、実際は、チャップリンは『街の灯』において、奇策を講じている。すなわち、『街の灯』 を音楽付きの 「サウンド版」 で公開し、サイレント映画でありながら、全編にチャップリン作曲の美しい音楽を聞かせた。こうして、それまで育てあげてきた 「チャーリー」 のキャラクターのイメージを壊すことなく、新技術を取り入れて、作曲という新たな才能を観客に印象づけた。
チャップリンは、実際のところ、トーキーに関心を示していた。フィルムに音声をも焼きつける方式の発明以前にも、様々な方式でのトーキー映画が試みられていたが、その中の一つにヴァイタフォン方式(サイレントのフィルムとレコードの一種とを同調させた) というものがあった。この、ヴァイタフォン第二作目 『ベター・オール』(26年) には、兄のシドニーが主演している。チャップリン兄弟はこの技術に強い興味を持っていたのだ。
実は、『モダン・タイムス』 では、脚本の段階でチャーリーとポーレット・ゴダード演じるお転婆娘との会話が構想されていた。二人の会話は、いかにも当時流行のノンセンスな掛け合いだ。
娘:名前はなんていうの?
チャーリー:僕?ああ、馬鹿げた名前さ。きっと気に入らないよ。「X」 で始まるんだ。
娘:「X」 で始まる?
チャーリー:あててごらん。
娘:イクジーマ(湿疹) じゃないでしょうね。
チャーリー:いや、それよりもっと悪い…チャーリーって呼んでくれ。
娘:チャーリーですって? 「X」 なんてどこにもないじゃないの。

チャップリンは、本当に必要な時になって、はじめて新技術「トー キー」を
導入した。写真は 『独裁者』。
チャップリンは放浪者チャーリーに、スタッカートのからかうような調子の声を与えるが、刑務所のシーンのリハーサルをトーキーで始めた翌日に、トーキー撮影は中止になる。彼は、安易に流行を取り入れることはなかった。結局、『モダン・タイムス』 では、トーキーの採用は、TVモニターからの社長の声、自動食事機のセールス・レコードの声、ラジオの声など機械の声、そしてチャップリンの芸を生かした歌 「ティティナ」 などに落ち着いた。いずれも作品のテーマやストーリーにどうしても必要なものに限られている。とりわけ、工場において社長の声のみが聞かれ、労働者には声がない、というシーンなどは、資本主義の本質を簡潔に表しており、見事としか言いようがない。
その後、『独裁者』 では床屋のサイレント的な演技とヒンケルのデタラメ語演説を使い分け、サイレント/台詞の両方のギャグを完璧にこなした。なによりも、ラストで民主主義を訴える崇高な演説を行い、「トーキーでしかできないこと」 のためにこの新技術を使った。その後、『殺人狂時代』(47年) ではエレガントな台詞を饒舌に喋ることで新たな境地を拓く。他方、『ライムライト』(52年) では、キートンとの二人芝居はほぼサイレントだ。チャップリンはサイレントとトーキーとを使い分け、完全に自分のものとした。
サイレント映画のスターが没落した原因は、流行に乗り遅れまいととにかくトーキー映画製作に乗り出したことが大きい。対して、チャップリンは、本格導入以前からトーキーを研究し、それまでのキャラクターを壊すことなく効果的に取り入れ、その技術でもってしかなし得ないテーマ( 『独裁者』 の演説) を得て初めて、全面的に新技術を取り入れた。結果、サイレント/トーキーの二つの時代を通して、商業的・芸術的に成功したほとんど唯一の映画人となった。
翻って、次々と登場する新技術に踊らされる現代。喜劇王の新技術の取り入れ方から学ぶことは多い。
執筆者プロフィール
大野裕之 Ono Hiroyuki
脚本家/日本チャップリン協会会長/劇団「とっても便利」代表
経 歴
1974年大阪府生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。専攻は映画・演劇学、英米文化史。チャップリンの未公開NGフィルムをすべて見た世界で三人のうちの一人。チャップリン家の信頼もあつく、研究者として国際的に活動。著書に『チャップリン再入門』『チャップリン・未公開NGフィルムの全貌』(いずれもNHK出版)、『チャップリンの影〜日本人秘書・高野虎市〜』(講談社)など。ミュージカル劇団とっても便利の代表として、『美しい人』(アリス賞受賞)、『ミュージカル・スターは夢を見る・・・』などの作品を発表。2008年には新歌舞伎座・御園座で松井誠特別公演の演出を手がけるなど多彩な活動を展開している。2007年にイタリアのポルデノーネ国際映画祭特別賞受賞。
テレビ出演等
『知るを楽しむ ~チャップリン なぜ世界中が笑えるか~』(NHK)/『徹子の部屋』(テレビ朝日)/NHKラジオ第一放送『ラジオビタミン』レギュラーゲスト
オフィシャルホームページ
http://www.tottemobenri.com とっても便利
http://chaplinjapan.com 日本チャップリン協会
http://ameblo.jp/onohiroyuki/ 大野裕之オフィシャル・ブログ「大野裕之・不完全版」