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ビジネスコラム 経験的ノウハウと専門的知識、そして専門家だからこその独創的な視点。月ごとのテーマに即した特集の他、各分野のエキスパートが、ビジネスに活用できる「知」と新たな視野を提案します。

脚本家/日本チャップリン協会会長 大野裕之 第7回

 
 
 いわゆる 「ミニシアター」 では、ハリウッドや日本の大手映画会社の製作・配給ではない芸術映画や、インディーズ映画などが主に公開されている。日本が裕福なころは、ここに通うのがちょっとインテリでオシャレだということで流行ったりもしたが、価格破壊とともに知性も破壊されてしまった昨今、ミニシアターは苦境に陥り、あまり景気のいい話は聞かない。ともあれ、大手に属さない独立系の映画作家の作品は、作品に作家個人の想いが行き届き、映画ファンとしては素晴らしい芸術作品に出合うこともあれば、はたまた難解な作品を見るはめになることもある。
 
 

“完全独立系” の元祖

 
さて、われらがチャップリンは、「芸術的で、難解な独立系個人」 とは対極にいる。ハリウッド大通りの壁画には真ん中にチャップリンとマリリン・モンローが描かれているが、まさに喜劇王はハリウッドのスターの中のスターだ。
ところが、チャップリンの芸歴を見てみると、面白いことが分かる。
チャップリンは、1914年2月、24歳のときに 『成功争ひ』 でキーストン社から映画デビューを果たした。このときのサラリーは週給150ドル。それまで所属していた英国ミュージック・ホールの劇団の倍だった。

デビュー間もなくして、人気者となったチャップリンは、翌年エッサネイ社に週給1250ドルの条件で移り、さらに翌1916年にはミューチュアル社と週給1万ドルの契約をし、この時点で世界最高のサラリーをもらう俳優となっていた。
ここまでなら単なるサクセスストーリーであるが、実はこのときにチャップリンは当時の俳優が考えもつかないことを行っている。ミューチュアルと契約をかわす前に、「チャップリン音楽出版社」 を設立し、自作の権利を管理した(これは、その名の通り、チャップリン自作の音楽楽譜も3曲出版した。『喜劇王は音楽家になりたかったが、楽曲が売れなかったので挫折した』 という記述をたまに見かけるが、実際のところは権利ビジネスを管理するために兄シドニーが設立したという側面が強い)。また、ローンスターフィルム社という映画製作会社も設立している。すなわち、まだ雇われの身だったが、まずは映画製作に関する権限は完全に確保して、芸術創作の自由を獲得することにつとめたのだった。
さらに、1918年には 「チャップリン撮影所」 を設立して、完全に独立する。こうして創作の自由を確保し、『犬の生活』 など私たちがよく知るところの 「心優しい放浪紳士チャーリー」 が登場する傑作映画を撮り続けることとなる。

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現在のチャップリン撮影所玄関。イギリス人であるチャップリンは、
ヤシの木の立ち並ぶカリフォルニアに純英国風建築の撮影所を建設した。
これも個人の自由?
しかし、川上(製作) における自由は手に入れたが、川下(公開) は大手チェーンに握られたままだった。このままだと、せっかくいい映画を作っても 「これは配給できません」 と拒否されたり、「こんな映画は売れませんよ」 と値段を下げられたりすれば肝心な創作の自由にも響く。というわけで、チャップリンと当時の大スターたち4人は、共同で配給会社ユナイテッド・アーティスツを設立し、映画製作から配給に至るまで完全に個人のものとした。自分で脚本を書き、監督をして、主演。自分が所有する撮影所で撮影し、全員の衣裳を選び、撮影が終わると編集し、音楽を作曲する。完成した作品は、自分の配給会社で公開する・・・ こうして見ると、世界でもっとも成功した映画界の巨人は、実のところ、なんと究極のインディーズ作家だったのだ!
 

芸術への自由さと、自分への厳格さと

 
 それにしても、芸術に自由であることはいいとして、ややもすれば 「難解」 な作品になることもあるインディーズ作品であるが、チャップリンが、難解とはほど遠い 「全世界の人々に分かりやすい」、かつ 「商業的に大成功する」 作品を作ることができたのはなぜだろう。
その秘密の一端は、残された膨大なNGフィルムにある。チャップリンは、ささやかなシーンでも何度も撮り直した完璧主義者だった。筆者は、1980年代に発見された彼のNGフィルムをすべて見ることができた世界で三人のうちの一人であるが、聞きしに勝る完璧主義者ぶりには驚きを通り越して、見ているこちらが疲れるほどだった。面白い演技でも、作品のテーマやストーリーに関係がなければ容赦なくカット。製作途中でセットを建て替えたり、配役を変更したり・・・ 何度も撮り直す過程で、差別的なギャグや性的なギャグはカットされ、世界中の人々が心から笑えるギャグを求めて苦闘していたのだった。芸術的自由をはき違えた独りよがりに陥ることのない、厳しい自己検閲を経て世に送り出された傑作群は、今も世界中の人々を笑いと涙の渦に巻き込む。(詳しくは、拙著『チャップリン・未公開NGフィルムの全貌』NHK出版をご参照あれ)。
 
 同時に、もう一つ指摘しておきたい。実は、チャップリン作品は難解なのだ。1936年の 『モダン・タイムス』 は、今でこそ機械文明を痛烈に批判した傑作とされているが、公開当時はヒットしなかった。機械が人を幸福にすると信じられていた当時、チャップリンが一体何を訴えているのか人々には理解されなかったのだ。実際、モニター画面で社長が社員を監視している場面の怖さは、街中に監視カメラが設置されはじめたここ数年の観客にしか分かるまい。あるいは、ヒトラーがアメリカでも英雄視されていた戦前 (当時世論調査で反ユダヤを標榜する人は9割を超えていた) に 『独裁者』 を発表したとき、一般のアメリカ国民は大いに戸惑った。これらの作品は、遠く21世紀の今、あらためて人々の胸をうつ。
 
 分かりやすさに逃げることもなく、独りよがりな芸術に囚われることもなく、厳しい自己検閲の上に最高の作品を産み出し、そのときは理解されなくても個人の自由を貫きとおす。自由な個人であることの大切さ、そして大変さを、究極のメジャーにしてインディーズであるチャップリンは教えてくれる。とにかく、それは芸術的にも商業的にも未曾有の成功をおさめる条件なのだ。
 
 
 

 執筆者プロフィール 

大野裕之 Ono Hiroyuki

脚本家/日本チャップリン協会会長/劇団「とっても便利」作曲・脚本・演出担当

 経 歴 

1974年大阪府生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。専攻は映画・演劇学、英米文化史。チャップリンの未公開NGフィルムをすべて見た世界で三人のうちの一人。チャップリン家の信頼もあつく、研究者として国際的に活動。著書に『チャップリン再入門』『チャップリン・未公開NGフィルムの全貌』(いずれもNHK出版)、『チャップリンの影~日本人秘書・高野虎市~』(講談社)など。他にミュージカル劇団「とっても便利」の作曲・脚本・演出家として、『美しい人』(アリス賞受賞)、『ミュージカル・スターは夢を見る・・・』などの作品を発表。2008年には新歌舞伎座・御園座で松井誠特別公演の演出を手がけるなど多彩な活動を展開している。2007年にイタリアのポルデノーネ国際映画祭特別賞受賞。

 テレビ出演等 

『知るを楽しむ ~チャップリン なぜ世界中が笑えるか~』(NHK)/『徹子の部屋』(テレビ朝日)/NHKラジオ第一放送『ラジオビタミン』レギュラーゲスト出演中

 オフィシャルホームページ 

http://www.tottemobenri.com とっても便利

http://chaplinjapan.com 日本チャップリン協会

http://ameblo.jp/onohiroyuki/ 大野裕之オフィシャル・ブログ「大野裕之・不完全版」