脚本家/日本チャップリン協会会長 大野裕之 第4回
『チャップリン自伝』 の驚くべき点とは、75歳になっていたチャップリンが、何の資料にも頼らず、自分の記憶だけで書き上げたというところだ。あとから研究者が資料をもとに裏をとってみると、その記憶がいちいち正しいことに驚かされる。
散見される間違いも、むしろチャップリンの記憶力のすごさを証明している。たとえば、『自伝』 のなかには、小学校時代に鬼のように怖かった教練担当の 「ヒンドラム大尉」、幼少の頃に3日間だけ会ったことのある母の友人 「イーヴァ・レストック」、子役時代に初めて役をくれたデューク・オヴ・ヨークス劇場の舞台監督 「ミスター・ポスタン」 という名前が出てくるが、資料をあたってみると、彼らの本当の名前は 「ヒンドム」 「イーヴァ・レスター」 「ポスタンス」 であることが分かる。幼年期に3日間だけ会った母の友人の名前を、読者のみなさんは覚えておいでだろうか? それも、75歳になって! むろん、筆者にできる芸当ではない。
この驚くべき記憶力は、とりわけ、話がお金のことになると詳細を極める。以下は、チャップリンが10歳のときのことを思い出して書いた文章だ。
「母の仕事は、おそろしく搾取的なある親工場から、出来高払いでもらうのだが、ブラウスを1ダース仕上げて1シリング6ペンスという約束だった。裁断ずみの布地をただ縫うだけとはいうものの、1ダースあげるのに最低12時間はかかる。最高記録は一週間で54着、それで手間賃は全部でたった6シリング9ペンスだった。」(『チャップリン自伝』、52頁)
『自伝』 を書いたときから65年前の、母親の仕事内容から給料、仕事時間から一週間の最高記録まで、この数字の細かさは驚くべきものだ。
もちろん、そんな数字など作り物ではないかと疑う向きもいるかも知れない。だが、チャップリン研究の世界的権威デイヴィッド・ロビンソンは、チャップリンが13歳の時に、「初めて航海に出た兄のシドニーが給料の中から35シリングを家に送ってきたと回想しているが、(自伝執筆中のチャップリンには見ることもできなかった)シドニー・チャップリンの船員記録を調べると、ロンドンへの送金として、彼の記憶とビタ一文違わぬ額が記載されて」 いたことを驚愕とともに記している。(デイヴィッド・ロビンソン著 『チャップリン 上』 文藝春秋、6頁)
ハリウッドの映画監督ロバート・パリッシュは、子役時代に、チャップリンの代表作 『街の灯』(1931年) に出演した。街角の新聞売りの少年で、チャーリーに豆鉄砲を吹いてイタズラをする役だと言えば、ご記憶の方も多いだろう。彼は、後年1960年代にアイルランドで偶然チャップリンと再会する。当時、ニューヨークで 『街の灯』 がリバイバル公開中だった。70歳をとっくに越していたチャップリンは、パリッシュに会うなり、「私たちの『街の灯』 が今、ニューヨークで大ヒットしているんだ」 と嬉しそうに話し始めた。パリッシュは、子役に過ぎなかった自分のことも含めて 「私たちの」 と言ってくれたことに感謝した。続けて、チャップリンは、「劇場は**なんだよ。僕の映画は○○劇場よりもあそこの方があたる。座席数は**席で、先週は**パーセントの入りで、一日あたりの売上げは**ドル、今週は**パーセントの入りで、一日あたりの売上げは**ドルだ。経費を引いても、**ドルの利益が出る。もっとも、あの時お前さんが急に身長が伸びたから、**日間かけて撮影し直さなきゃならなかった。あのときの経費が**ドルかかったから、それがなければもっと儲かっていたんだがね」 と話し、パリッシュはあっけにとられる。

『キッド』 (1921年) のワンシーン
チャップリンは世界中の映画館について、例えば 「大阪では、梅田の○○より、難波の**劇場の方が、僕の映画は入る」 などと把握しており、そのほとんどの興行成績や席数などを後年まで空で言うことができた。監督・脚本・作曲・主演・プロデュースをこなした映画史上のワンマンの天才は、経理のこまかい数字までも把握していたのだ。細部に至るまでデータを暗記している驚くべき記憶力。これこそ、「超一流の経営者チャップリン」 を支えた知られざる才能である。
弱者の視線、商売の倫理、人間らしさ、そして正確なデータを把握する驚くべき記憶力・・・これらは、やはり極貧の少年時代の体験から得たものだろう。父を死に追いやり、母を精神障害にし、兄と離ればなれで暮らさなければならない状況に幼いチャーリーを追いつめた 〈貧困〉。絶望的な状況から身を起こして、倫理観とユーモアをともなった商売を成功させたその才覚は、我が国の、戦後すぐ焼け跡から身を起こした先輩世代のパイオニア的経営者が語る教えと通じるところもある。
『チャップリン自伝』 の話題が出たので、ついでに一言。この自伝は、タイトルが変わっている。原題は 「My Autobiography」。Autobiographyで自伝という意味なので、My Autobiographyというと、「私の自伝」 とか 「自分の自伝」 という意味になり、英語としてはとてもおかしいタイトルだ。しかしながら、このへんてこなタイトルがいかにもチャップリンらしい。監督・脚本・主演を兼ね、自らの撮影所で満足のいくまで完璧主義を貫き、配給会社も自分の会社・・・ とにかく、なにもかも 「自分」 が納得するものでないと気が済まないこのこだわり。これも超一流の経営者に必要な才覚だろう。ただし、天才だけがなし得る芸当だろうが。
執筆者プロフィール
大野裕之 Ono Hiroyuki
脚本家/日本チャップリン協会会長/劇団「とっても便利」作曲・脚本・演出担当
経 歴
1974年大阪府生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。専攻は映画・演劇学、英米文化史。チャップリンの未公開NGフィルムをすべて見た世界で三人のうちの一人。チャップリン家の信頼もあつく、研究者として国際的に活動。著書に『チャップリン再入門』『チャップリン・未公開NGフィルムの全貌』(いずれもNHK出版)、『チャップリンの影~日本人秘書・高野虎市~』(講談社)など。他にミュージカル劇団「とっても便利」の作曲・脚本・演出家として、『美しい人』(アリス賞受賞)、『ミュージカル・スターは夢を見る・・・』などの作品を発表。2008年には新歌舞伎座・御園座で松井誠特別公演の演出を手がけるなど多彩な活動を展開している。2007年にイタリアのポルデノーネ国際映画祭特別賞受賞。
テレビ出演等
『知るを楽しむ ~チャップリン なぜ世界中が笑えるか~』(NHK)/『徹子の部屋』(テレビ朝日)/NHKラジオ第一放送『ラジオビタミン』レギュラーゲスト
オフィシャルホームページ
http://www.tottemobenri.com とっても便利
http://chaplinjapan.com 日本チャップリン協会
http://ameblo.jp/onohiroyuki/ 大野裕之オフィシャル・ブログ「大野裕之・不完全版」